社長ブログ

by 遠山 峰輝

BLOG遠山峰輝のつづる日常

  • UPDATE

    2021.02.07

  • 医療ノーマル

    コロナ禍、「ニューノーマル」という言葉が定着化しつつある。コロナが生み出した「新たな秩序」という意味だ。確かにニューノーマルは現実性が高いものと認識することができる。在宅ワークは新たな習慣になる予感がある。これに付随して、都心への一極集中も緩和され、地方への移住も進み、地方活性化が進むかもしれない。時差通勤も当たり前。海外出張?どうしてオンラインで会議しないの?など出張もその意義や価値を問われる世界になるかもしれない。遠隔技術の進化も相まって、世の中が次の段階に進化して、新しい当たり前が生まれる。「ニューノーマライゼーション」という言葉に大きな違和感を感じる人は少ないであろう。

    さて、医療の世界に目を転じてみる。今回のコロナで、医療の世界では、世の中の進化を冷静に捉えるというよりも、「医療崩壊」という言葉を通じてこの「危機」(通常ではないアブノーマルな世界)をどう乗り切るかという視点に終始している。確かに今を乗り切ることが重要であるから、ここに異議を唱えるつもりはない。しかし、実は今起こっていることは、決して一時的なアブノーマルな世界に向かっているのではなく、「本来ある当たり前の世界に向かっている」ということを忘れてはいけない。このことは、おそらく、コロナが落ち着いた頃に議論されるであろう。

    コロナ禍、受診控えが起こり、外来患者は減った。不要不急の外出を控えた結果、病院への外来は一定数必要なかったわけだ。世界で一番受診回数が多い日本である。なんでもかんでも病院へ行く日本であった。新たな秩序ではなく、本来の当たり前に気がついたわけである。「軽症患者は自宅療養」、最近のコロナの決まり文句である。世界で最も入院回数、或いは在院日数が長い日本、必要ないのに入院しているのが日本である。軽症患者は自宅待機、これまた当たり前の世界である。都立病院のいくつかを感染症専門病院にして重症患者を集める。これも当たり前だ。世界でベッド数が最も多く、医療者数が少ない日本。医療資源を集中することが必要であることはわかっていたはずである。コロナの重症患者の分散管理がいかに非効率であるかは自明の理だ。

    今回のコロナに対する医療界の緊急対応は実は当たり前への回帰であると考えるべきであり、「ニューノーマル化」ではなく、「ノーマル化」であると思う。コロナが落ち着いた後に大切なことは、危機が去った、これで日常に戻れると考えることではなく、コロナで対応している今こそ、あるべき医療システムであると考えることではないであろうか。

    遠山峰輝

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